商工会議所 沿革

 上野商工会議所の組織は、明治30年(1897年)に、田中善助らによって
創設され、上野商工会がその母体となっています。

 

 この上野商工会は、初代会長田中善助、2代目吉岡健三郎、3代目筒井信朗、
4代目堀川宇三郎(4期重任)を経て最後に菅野八郎兵衛が就任し、上野町が
昭和16年市政実施に伴い、堀川宇三郎会長時代の同17年4月17日上野市
商工会と改称しました。

 

 さらに、地域商工産業の発展振興に貢献し、その存在価値を高く評価された
上野市商工会は、昭和21年9月5日、社団法人組織の商工会議所への成長発展が
はっきり軌道に乗ったのを機として発展的解散を行いました。

 

 その後、昭和21年11月7日付で、社団法人上野市商工会議所の設立が、
商工大臣星島二郎から設立発起人総代菅野八朗兵衛に対し、三重県庁を経由
して認可されました。

 

 発足当初の昭和21年12月3日付で、公正取引委員会に提出した事業者団体
成立届によると、会員総数は218団体になっています。これは商工会組織当時の
ままの同業組合を中核とする団体加入制度を利用したことによるもので、個人加入は
皆無だったようです。

 

 その後個人加入を軸心とし、組合加入も従として認めるという体質改革を
断行したのが、同23年からで、同年度の会員数は、528名と記録されています。

 

 昭和29年7月1日、組織変更による特殊法人組織の上野市商工会議所が
誕生しました。

 

 昭和31年10月、商工会館(信用金庫隣)落成式を挙行し豊岡市長をはじめ
関係各位を来賓として招待、翌昭和32年3月定款の一部改正、名称を
上野商工会議所に、所在地を上野市東町2947番地に変更しました。

 

 昭和36年3月定款の一部改正、所在地を上野市丸之内36番地の1に
変更しました。 

 

 昭和40年、鉄筋コンクリート2階建ての旧上野電報電話局舎の敷地400坪
建物一切を購入の後、昭和42年10月に起工式を挙行し、所在地を伊賀市上野
丸之内37番地に変更しました。

 

 昭和43年6月に3階建てに増改築工事が竣工し上野商工会議所ビルが
スタートしました。 1階に商業テナント、2階に当所事務局及び貸事務所、
3階に大ホールをもち、上野市駅前の中心的な役割を担ってきました。

 

 平成に入った頃から、上野商工会議所ビルも老朽化が進んできたため、
新たに立て直しを迫られておりました。同じ頃、市街地の中心であり表玄関とも
いうべき上野市駅前を新しく作り直そうとの話が出始め、将来を見据えた
上野商工会議所のあり方について議論を重ねました。

 

 当所は、長年にわたり諸先輩方がまちなか中心地で会議所活動を続けて
こられたことや、商工会議所として中心市街地活性化の先頭に立って活動すべき
立場で あることを考え、「上野市駅前地区市街地再開発事業」への参加を決定しました。

 

 平成17年8月、伊賀市が上野市駅前で進めていた「上野市駅前地区第一種市街地
再開発事業」の再開発ビルに向けた計画がスタートしました。その後、再開発ビルは
「ハイトピア伊賀」と命名され、平成24年3月に竣工。3階に上野商工会議所
新庁舎が完成しました。

 

 市の玄関口にふさわしい魅力あるまちづくり、伊賀市の中心市街地活性化の先導的役割を
担うハイトピア伊賀。新庁舎3階には、一新された事務所・会議室・貸室に加え 、集会や
講演会、ミニコンサート、展示会等に広く活用できるスペースから成るコミュニティ情報
プラザを設置し、多くの会員企業や市民の皆様に利用していただくことを目指しています。

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